スブドについて

小室昭治先生の「自然波動法」や片谷忠三先生の「お術」と称する治療法と非常に似通ったものに、インドネシア起源の霊的修練「スブド」があります。

 

これは戦後に一世を風靡し、多くの実修者を生みだしました。但し、これは病気の治療を目的としておらず、神への全託への道、神へ繋がる道として広められたのです。

 

全ては、自我によってなされるのではなく、神から与えられるもので、神への全託こそ最重要課題であり、そのために神から与えられた霊的修練(ラティハン)を実践することこそ、完全他力の神への道であるとしています。

 

スブドは、インドネシアのムハマッド・スブー・スモハディウィジョヨに神から啓示が与えられ、人々に伝えられたものです。これによって、直接に神の力との接触が与えられ、神の力の流入を自分の中で受け続けて行くこととされています。

 

この力が受けられるようになると、身体が自然に動き始め、異言を発したり、様々な霊的事象を見せられたりする様になります。しかし、これは飽くまで途中経過であって、そのような事象にも捉われることなく神に全託していれば、神へ直接的に繋がることができる状態になるというものです。

 

ムハマッド・スブーは、1901年6月22日、双児宮の星の下に生まれました。幼少より霊能力に優れ、その後、霊的指導者に師事しようとしましたが、その非凡な器が到底おのれたちの比でないとことを理由に断り続けられました。そして、イスラム托鉢僧団のアブドラ―マン師が、別格の客人としてもてなすことをゆるしてくれたのです。

 

ムハマッド・スブーは、32歳で死ぬ運命にあることを神から知らされていました。アブドラ―マン師は、当時のジャワで最も有徳な師として知られた人でしたが、ムハマッド・スブーの魂は、極めて高い階層の天使の指導を受けているが、自分にはそれを詳しく理解することは出来ない、と思っていました。

 

1925年夏、スブーが24歳のとき、月のない闇夜の戸外を歩いていました。すると、突如その頭上に白日の太陽よりも眩しい光球が、光り輝くのを目撃したのです。と同時にその輝かしい光が彼の頭頂を貫き、その身体の中に入り込み、全身が光耀(こうよう)たる輝きで充たされました。そして、神の恩寵は彼の身体を包んだとともに、激しいバイブレーションが彼の身内じゅうを震わしていました。このような神秘体験は、それ以降毎晩のようにスブーの身辺におこりました。昼の間は、一家の働き手としてセマランの町役場の簿記係として人間の務めを果たし、夜はそうした神より課せられた霊的義務を全うしました。

 

1930年、29歳の時のある夜、スブーの前に、予言者ムハンマド(マホメット)が現れて、厳かに何事かを命ぜられました。

 

それ以降、連続一千夜の断食と霊的修行が始まったのです。夜ごと夜ごと天使に導かれて、七階層(鉱物界、植物界、動物界、人間界、小天使界、大天使界、神界)の諸界をつぶさに味得したのです。この七階層の修行が終わると、彼は世界各国にある古今東西の諸宗教の経典を学ばされました。キリスト教、仏教、イスラーム、ヒンドゥー、ゾロアスター教などから新興の宗教に至るまで、その教義・起源・経典の真髄といったものを通暁させられました。

 

大聖ムハンマドとの「一千夜の誓約の日」の前日、役所から帰ると急に熱を出し、気分が悪いと言ってベッドに横たわりました。その夜半のことです。パ・スブーの霊魂は天使にいざなわれて臥床の肉体から脱け出し、行く先は地球外の世界、大宇宙の星々でありました。スブーの魂は、彼を守り導く天使によって、月、水星、金星、火星、木星、土星といった風に、全銀河系の天体を歴訪し、星々の世界を知らされたのです。単に星の生態そのものでなく、それらの星が放つバイブレーションの意味や、そこに住む星人について、地球との関係など、そして神の示す不可知の智慧に至るまで教えられました。スブーの霊魂は、最後に太陽に至りました。

 

もうその時は夜明けに近く、眠っている肉体に戻るべき時刻も近づいていました。丁度その瞬間、魂のない抜け殻となって横たわっているわが子の発熱にはらはらとして、幾度か見守りにやって来ていた母親は、忽然と家全体が、何億ワットともいうべき光耀に照り輝き、白昼以上の眩しさに幻惑したと語っています。

 

同日同時刻、全ジャワの霊視や霊能を持った霊的指導者たちは、一様に光り輝く太陽が、赫々(かくかく)たる栄光を放ちつつ地上に堕ちたという幻を見ています。

 

奇しくも、彼の生命が32歳で終わるという予言のその日、その時間に当たっていたというのは、偶然の一致なのでしょうか。彼を導いている天使は、この瞬間に、これ以上天界にいてはならないと戒(いましめ)ました。これ以上進むなら、魂は地上の肉体に戻れないであろうと諭しました。かくして、聖者の魂は肉体へ戻りました。1933年6月22日の誕生日の払暁(ふつぎょう)に。そして、予言者ムハンマドとの誓約を、めでたく全うすることができました。

 

この日以来、神から課せられた霊的接触、彼が神から受けた「神人合一の方法(ラティハン)」を伝えようと決心したのです。パ(親父さんの意:愛称)・スブーによると、このラティハンの行法は神からの接触であって、人間の行うものではない。従って、一切の宣伝や布教をなすべき性質のものではないとしています。

 

しかし、パ・スブーに師事したアラブ系の神智学者のフセイン・ロッフェ氏や、グルジェフ思想に傾倒していた英国人科学者のベンネット博士らによって、瞬く間に世界へと広がっていったのです。日本の草分け的な占星学者であるトービス 星図師は、初期の頃からフセイン・ロッフェ氏の指導の下に、このスブドを真から体験体現された方でした。

 

スブド・ジャパン 

トービス星図師

アラビアから贈られた服を着て。

霞が関書房刊「神秘学入門」より。

 

占星家の故ルル・ラブア女史は、同氏の秘書を務められていた。