神道的に謂えば、人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、その分霊の発する光(エネルギー)が障りなくこの肉体に顕現していれば、全ての臓器や器官の活動は完璧な状態に保たれるはずです。
しかし、分霊の光の顕現が、業想念(ごうそうねん)、即ち通常「心」と呼ばれている想念意識によって妨げられると、生命豊かなエネルギーの発現が封じ込められる結果とになり、そのため、身体はあらゆる病気を背負うことになります。この業想念とは、人類が地上に現れて以来、自己保存本能に基づいて永年積み重ねられた想念意識のことで、人間の運命を形成する要因ともなります。この業想念による抑圧が続くと、エネルギーは不足してまいります。
元気も回復力も衰えて、生命力が乏しくなり、病気がちとなるでしょう。若々しさは失われて、必要以上に身体は年をとってしまい、人生を愉しむことができません。逆に、分霊(本来の自分)から発現するエネルギーによる表現が盛んになれば、身体と魂は際限ない自由を手に入れることができるのです。しかし「心」が原因で発症している病気を、「心」によって解決しようとしても真の解放は得られません。何故なら、「心」が状態を悪化させている原因なのに、その「心」によって解決しようとすること自体に無理があります。
大御親(おおみおや)である神さまは、この地上に神さまの意思が完全に顕現されるまでの間は、業想念によって、分霊の光が発現するのが難しい状況が続くであろうことをご存知であるので、大愛をもって、速やかに分霊の光が顕現されるようにと、多様な救済の光(エネルギー)を発しられているとのこと。そのなかの一筋が、人々に「自然運動」を惹き起こし、心身を業想念の抑圧から解放する癒しのエネルギーなのかもしれません。
そして、この流れの中で、使命を帯びた多くの天使や霊人たちが働かれているように思われてなりません。「自然運動」とは、野口整体の活元運動やスブドのラティハンのように、身体がひとりでに動き始める現象のことで、無意識運動、自発動などとも呼ばれています。個々人が、各自に固有な無意識運動に心身を委ねると、心身が解放され癒しが始まります。
この運動は、自発的なものと、施術者が被術者に対してエネルギー(自然波動法では波動と呼んでいます)を送ることによって発動するものとがあります。わが師・小室昭治先生は、明治の神道家「川面凡児」の提唱する「海の禊(みそぎ)」を続けておりましたが、ある日、突然に人を癒す業(わざ)を授かり、しかも自然に授かったが故に「自然波動法」と命名されました。
私は、昔から人を癒す道に大変関心があり、稀代のカイロプラクター・高橋信壹先生から「整体」や「操体法」(注1)を教えて頂きました。これらの療法によると、筋や腱の緊張による身体の歪みが万病の原因であるとされています。この「自然波動法」は、まさに無意識的な自然運動により、各自固有の業想念によって引き起こされている筋や腱の緊張を取り除き、自然に健康を回復させ得る理想的な療法ではないかと思っております。
(注1)戦前、橋本敬三先生(新潟医専卒 東北帝大に学ぶ)によって創始された、身体を曲げたり伸ばしたりするだけで病を治すという療法。