先のブログでは、エドガーケイシーの「占星術に関するリーディング」について述べましたが、そのリーディングの中で、太陽系以外の天体、例えば、シリウス(天狼星)・アルクトゥルス(大角星)・大熊座(北斗七星)などの数多くの恒星が、人間の魂に深い影響を及ぼしていることが言及されています。
恒星と人の命運について、生涯にわたって探求された人物が日本にもおりました。仏文学者で小説家の西川 満先生です。先生がまだ若かりしころ、あたかも導かれるように、不思議な算命先生から、恒星と人の命運についての秘密を直接伝授されたのです。それは「天上聖母全天恒星秘解」(天上聖母算命)という、世にも珍しい術で、これを伝授されるに至った経緯を、西川先生のご著書「人間の星」 六興出版部発行 から引用させて頂きながら、ご紹介することに致します。
以下は引用です。
わたし(西川先生)は、戦前の台湾台北市に育った。幼少の頃、父親に手を引かれながら台北の街を歩いていると、不意に露天で算命(命運鑑定)をする老人が、台の上の古ぼけた帳面に手をのせて、父に向って何やら呟(つぶや)き始めた。老人と父が何を話していたのか、ついに聞かずじまいだったが、ただ老人が、たった一度、空の星を見上げて星を指したのが、とても印象的であった。帰りみち、薄雲の間にまたたくその星を、父は幾度か眺めたが、ひどく無口であった。
長じて、青年になったわたしは、父の勧めもあり、風光明媚な新竹州の獅頭山を訪れた。長い山道を歩き続け、いいかげんくたびれた頃、緑の木々の彼方に、奇岩を背景にいくつかの反り返った朱瓦の屋根が見えた。関羽を祀る勧化堂である。水簾洞と呼ばれる洞窟を一部利用して建立されたこの堂は、外界の熱気を完全に遮断していて、冷気でひんやりとしているのだった。疲れも忘れ、うす暗い堂の中で、メモを取っていると、若い尼僧が、芳しい烏龍茶を持て来てくれた。朱塗りの柱のあいだからは、谷を隔てた向こうの峰に白亜の六層楼が見える。仏塔である。
尼さんに一夜の宿を頼むと、相客があってもよいか、という。否かろうはずもなく、導かれて行った。椎茸や葱で味付けした焼ビーフンを食べ、暮れてゆく中央山脈を、手すりにもたれて、じっと眺めていると、
「奇遇だな」
うしろでつぶやく老人の声がした。まさか自分にいった言葉ではないと思い、知らん顔をしていると、
「わしをおぼえているかね?」
老人はいつのまにか、私の横へ来て、円い木椅子に腰をおろし、
「忘れたかね?」
にこやかな顔だった。うなずくと、
「絵かきか?」
髪が長いので、そう思ったのもむりもない、と苦笑しながら、
「文章を志すものです」
謙遜ではなく、素直に答えると、
「然し、絵もかくだろう。あんたは、いつでも二つの仕事をしなければならぬ。それが宿命だ。北斗の文曲の星の下に生まれ、魁星の作用のままに生きてゆくのだから」
飛びあがらんばかりに私は驚いた。と同時に、歓喜し狂喜する、激しい胸の鼓動をおさえることができなかった。
いったい何者なのだ?この老人は…?
「どうして、私のことを知っているのです?」
「まだ思い出さないのか。あんたが私の前に現われた時、あんたはまだこんなに小さかった。父上に手を引かれて、おずおずとわしの方を見ていた…」
「あ、では、あの算命先生…」
老人は鷹揚にうなずいて、
「まんざら記憶力が悪いほうでもなさそうだな」
「でも、あのころと今とでは違っています。どうして私を?」
「ハハハハ、自分の顔に、誰にもない目印をつけておきながら、まだわからないのか。その右眉にある二つの黒子(ほくろ)」
なるほど私の右の眉頭のところには、大きな黒子がご丁寧に二つも並んでついている。
「何年、いや何十年たとうと、一度見た特徴ある顔は決して忘れない。あんたはいつでも、生涯二つの仕事をしてゆくのだ」
陽は落ちていた。蠍座のアンタレス(大火)も、射手座も西へ沈み、南天には、北落師門(南魚座のフォーマルハット)が蒼白なまでにまたたいていた。地上はまだ夏の残暑でも、天上の星だけは、まちがいなく、すでに季節が秋であることを示しているのだった。
尼僧の持ってきた吊りランプを、老人は柱にかけた。
「あんたの生まれた明治41年といえば、清暦では光緒(こうちょ)34年、2月12日は正月11日になる。この日は、魁星(かいせい=北斗七星の枡の部分)の中の文曲(もんごく)が、全天を支配している。そのため、学問技芸で大いに身を立てることができるのだ」
老人は吊りランプにこよりをのばして火を移し、水煙管につけてスパスパと吸ってから、
「あそこに見える、あの星、北落師門、寂しそうなあの星が、あんたの頭にも、心臓にも、左の肺にもついている。そのためあんたは名をなしても、一生貧乏で酷薄。天寿は短い。だから、あんたが子供の時、わしは、父上にそれを注意してさしあげた」
「あのときは、まだ生まれた日も申しあげなかったはずです。それなのに、どうしてわかったのですか?」
「人間の宿命は、すべて顔にあらわれている。手にもあらわれている。それが本人なら算命をしなくてもある程度わかる。算命のよいところは、本人を前に連れて来なくても、顔を見なくても、のこらずわかる、ということだ。正直に言えば、あんたが生きている、それがわしには不思議なくらいだ。その黒子は変わらないが、人相は、子供のときの、風にも堪えない脆弱さとはすっかり変わってしまった。あんたは誰かに、善根でも施したのか?」
「さあ、別に。ただ、わたしは、おっしゃるとおり病弱でしたから、少年のころから、さまざまな宗教の道に走りました。そのうち、日蓮という僧の文章に心ひかれ、耽読するうちに、文章だけではなく、その人柄、思想に傾倒しました。やがて日蓮聖人を通じて、法華経を信仰するようになったのです」
「ほう、法華経を!」
「日蓮聖人は、法華経のことを内典の孝経だといっておられますし、仰せのように病弱で貧乏で、親孝行の何ひとつできないわたしは、せめて気持ちの上だけでも孝行をしたい、と自分で自分の法号を、<日孝>と選びました」
「それだ、それがあんたを救ったにちがいない。算命の学問は、人の命運をあやまちなく予知できるが、本来、非情なものだ。凶を吉に変えるには、また別な方法をとらねばならぬ。一番よいのは、正しい信仰をもち、それを実践することだ。仏教の経典の中では、法華経は最勝とされている。わしが、この獅頭山に来たのも、実は、法華経の中で釈迦牟尼如来が説かれた、観世音菩薩に祈願せんがためだ。ところで、法華経は知っているが、日蓮というひとの名ははじめてだ。どんな坊さんかね?」
わたしは、日蓮聖人の一生を、簡単に語ろうとした。然し、そうはいかなかった………
老人は、いや呂先生と呼ぼう、呂とのみ老人は名乗ったから。呂先生は目をしばたたいた。六十くらいかと思っていたのに、八十と聞いて驚いていると、
「わしは礼をいう。孔子は、朝(あした)に道を聞けば夕に死すとも可なり、といった。若いあんたから、この年になって道を説かれたよろこびで、いっぱいだ。だからこそあんたは命がのびたのだ。この分なら、もう一度ある死の危機ものがれることができるだろう」
「えっ、そ、それはいつですか?」
徴兵検査も丁種不合格で、いつもあばら骨の出ているわたしだったから、死と聞いて、また肝をつぶした。
「三十八歳。が、まあ、心配はいるまい。それより、あんたが算命に興味があるかないかは知らぬが、あんたさえよかったら、お礼に、わしの算命の秘法をお教えしよう。媽祖廟(まそびょう)を知っているかね?大稲埕(だいとうてい)の…。そりや結構、陳という道士がいるから、台北に戻ったら訪ねなさい。友達だから、すぐわしのところへ案内してくれる。では、おやすみ」
昂奮で眠れないでいるのに、呂先生ははやすやすやと軽い寝息さえたてている。先生の眠りをおびやかさないように、そっと窓に近寄り、わたしは、あの寂しい北落師門のまたたきをみつめていた。いつまでも、いつまでも。
聖母と二魔(千里眼と順風耳)
作 峯梨花
西川満著「人間の星」より