和田聖公師の臍帯呼吸法

白隠禅師 

 

 

 

 

 

 

 


「ヨガ」というと、欧米から伝わった、インド由来の比較的新しいムーブメントだと思われている方が多いのではないでしょうか。そしてヨガを学ばれている方の大半が、健康の改善や美容を目的とされているのが実情だと思われます。

 

しかしヨガは、もともと体験を基盤に、無限の生命につながって行こうとする行法(ぎょうほう)そのものなのです。そして日本では、仏教の中に完全に溶け込んでしまっているのです。

 

ヨガの行法そのものである「臍帯呼吸法」について、聖白色同胞団(霊団)の大聖であらせられるジュワルクール大師の高弟・和田聖公師の著された「ヨガと仏教」(霞が関書房刊)から大半を引用させて頂きながら、語ってみたいと思います。

 

 

 

【和田聖公師かく語りき】

釈尊は、「生老病死」というものを、避けがたい人間の必然性だとしています。この「生老病死」が必然ということは、肉体人間の有限性を認めたということになります。しかし、そこに留まってしまって、諦観に陥るのではなく、無限性というものへのつながりを求めていきました。

 

すなわち、無限の大生命が存在するがゆえに、これへのつながりを求めようというのです。そのためには、二つの方法論がありました。一つは、哲学的に、思想的にそれを成し遂げようというもので、もう一つは、体験(ヨガ)を基盤として行くものです。しかし、体験の根拠がなければ、哲学や思想は成り立ちません。なによりも「行」ありきなのです。

 

大生命があって、我々はその大生命とつながりをもっているというヨガの思想が、完全に仏教の中にあるのです。ヨガの考え方、あるいは大生命とつながる方法は、完全に仏教の中に入り込んでしまっているのです。

 

ヨガでは、人間性の向上発展は、「第二意識」とつながることによって成し遂げられるとしています。仏教では「第二意識」とは云わないで、「仏性」という言葉で表現しています。仏性は自分を救い、人を救います。最初から、人間には仏性があるのだと、釈尊は強調されています。

 

なぜ「第二の意識」が自分を救い、人を救い、社会を救うのでしょうか。それは、「第二意識」は無限であるということなのです。我々が常に想い、感じ、そして考えている想念意識は「第一意識」であり、これは有限であります。一方、「第二意識」は無限に発展します。

 

我々の肉体が死ぬと、「第二意識」は体の外に出てしまいます。そして、「第二意識」の開発された程度に応じて、幽界もしくは、霊界、あるいは神界(仏界)に行くのだとされています。しかし、「第二意識」が幽界レベルの開発段階だと、やがてまた肉体を授けられ、再びこの世に生まれてくるといわれています。

 

そこで、「第二意識」を開発しなければならないとされています。「第二意識」が完全に開発されると、「真我」が顕現して、無限の知恵、無限の感情、無限の意志を感得できるとされています。

 

この無限の知恵のことを、ヨガでは「第二意識の知恵」と云っていますが、仏教では「般若波羅密多」(はんにゃはらみった)と呼んでいます。

 

般若心経では、行を深めたならば「般若波羅密多」というものが得られた。そして、「観自在」の境地に達したというのであります。これは、「第一意識」と「第二意識」とが完全につながり、有限が無限につながったことを意味しています。

 

また、行を深めて行くことを、「五蘊皆空」(ごうんかいくう)という言葉で説明していますが、「五蘊」というのは肉体のことであって、肉体を解いた、すなわち「第一意識」を解いて、「第二意識」に完全につながったときに、あらゆる苦厄を越える力が湧いてくるとしております。

 

それでは、どのようにして行を深めていったらよいのでしょうか。

 

誰にも入りやすい方法として、一つは、前々回のブログ「一遍上人の熊野権現夢想の口伝」で書きました、浄土門の念仏行のような他力易行道があると思います。一つは、単純素朴なヨガ行法、すなわち「臍帯呼吸法」であると和田聖公師は言われています。

 

私たちが、「臍帯呼吸法」によって「第二意識」が開発されるなら、般若心経でいう「得」というものが実際に現れてきます。つまり、ヨガは体験の事実を教えているのであって、体験そのものなのです。「臍帯呼吸法」によって、「五蘊皆空」という事実を教えているのです。換言すれば、ヨガの教えが、「般若心経」そのものだということです。

 

その「体験の事実」を解説しようとして、「般若心経」となり、「法華経」となり、その他のあらゆる経典となったのですが、経典となると、「体験の事実」を解説する言葉が余りに多くなって、しかも、思想が豊富であるために、一般の人々にとっては、はなはだピンとこないものになってしまっているのです。

 

やっぱり、下界の言葉で、もっと単純で素朴な言葉で教わらないと、一般には受け入れがたいのです。逆に、ヨガは極めて単純素朴なものです。「臍帯呼吸法」によって大生命を吸引すると云う表現は、まことに単純素朴であります。その結果、私どもの肉体が若返り、私どもの「第二意識」が開発されるという事実が、多くの体験から云えるのであります。

 

ヨガでは、必ず現象を通じていかなければ超現象、すなわち「第二意識」には至らないことを強調しています。しかし仏教では、いきなり「第二意識」に直結しようとしています。しかし、その直結するためには行が必要となります。行法というものが不可欠になります。その行法をせんじつめて言うならば、「お腹の呼吸法」ということになってまいります。

 

ヨガはあくまでも現象を追求します。現象を追求することによって、超現象に至るものであります。それが、「ふれる」ということに結ばれるのです。

 

ヨガは、あくまでもこの「ふれる」を中心にして、「ふれる」ものを、どこまでもどこまでも追求して、第二意識に到達しようとしています。あの世のことを語ると云っても、それは現象を超えたものではありません。現象につながったものなのです。

 

現象界というものにだんだん「ふれて」いって、「ふれる」ことを拡大すると幽界が理解されます。そして霊界が理解され、やがて神界が理解されるのです。

 

現象を超えて、いきなり超常現象に到達することはできません。あくまでも現象を追求していかなければなりません。現象を追求して行くとなると、「ふれる」より他に方法がないのです。「ふれて行けば」、やがて見る力がでてきます。般若心経で云うところの観自在という段階に到達するのです。

 

認識が無限大に拡大されたときに、観自在になります。行を深めてゆくと、五蘊、これは全身の機能のことを言いますが、これを超えるということは、認識を拡大したということなのであります。これは、「ふれる力」を拡大していって「第二意識」につながったということなのであります。

 

「第二意識」につながると、どういうことがあったかと云うと、どんな問題でも、どんな苦厄でも、それを超え、それを消す力がでたということなのです。何故ならば、「第二意識」は無限の力があるからです。

 

行を深めるとは、行うことであるのだから、行うという事は、「ふれる」ことから始まらなければ行いになりません。行動するとは動くことであります。動くことは「ふれる」ことになります。ヨガの運動がありますが、あれもみんな「ふれる」ということなのです。

 

釈尊は両手を合わせて臍帯にあてているが、これはお臍を中心にして、「第二意識」を開発すべく、一生懸命に行を深めているのです。

 

人間は、人間性でとどまっていたのではいけない。霊性というものに開眼しなければならない。「霊性などと滑稽至極なことをほざくな」と云う人もいますが、これは大変な人間への冒涜であると思います。

 

人間は霊性をもっています。それが表面に現れてこないだけであります。これは、心理学でいう潜在意識のようなものではありません。もっと深いものがあります。仏性・神性とつながったものであり、その入り口に霊性があるのです。

 

しからば、それを拡大することによって、人それぞれが仏性・神性につながり、さらに拡大していって、無限大の能力を発揮しなければならない。そのためにこそ行ずるのであります。

 

和田師自身は、朝の3時ごろから起きて、一日中飛び回って、夜の11時ごろに眠っても何とも感じられませんでした。これは、師が単なる有限の意識で動き回っているのではなく、無限の「第二意識」の知恵が師を支えてくれているからなのです。

 

また、和田師は、何処へ行っても、何時間でもお話しすることができました。それは、師の「第二意識」の叡智、いわゆる「般若智」が後ろからドンドン師を助けてくださるから、師は安心してお話ができるたのです。限られた知恵では、行き詰まれば、とてもお話などは危うくてできません。限界があります。

 

ある人が、旅行することになったのですが、易学や九星方位学で、46歳の男性を連れて行かないと不幸になると鑑定されました。しかも一旦、西の方向へ行き、それからでないと目的地には行ってはいけないと言われました。それで、和田師のところに相談に来たのですが、師はこのように申し上げました。

 

「もしも、あなたにお金がなくて、自分一人で行かなければならない状況ならばどうしますか。西へ行くのには多大な費用がかかりますよ。直接目的地へ行けばよいのではないでしょうか。それこそ迷信です。」

 

「あなたの出発する日、あなたが行かなければならない道順は、それこそ一番良いのだと、あなたが信じて行けば、一切そうなるのです。」  

 

「あなたが何かをするとき、こうすれば不幸になると思ったならば、そうなるのです。」

 

実際、それを超えて行く力があるのです。私どもの「第二意識」の力があるのです。超えて行くのだと思ったら、そんなものはなんでもなく超えてゆけます。初めから、そんなことが出来るかどうか分からないなどと云う事は、不幸を歓迎しているのと同じです。我々には、開発すべき力があるのです。無限の力があるのです。

 

和田師自身は、ヨガによる「第二意識」の開発で、本当に体験させられた数々のことがあったそうです。だからこそ、誰にでも無限の力があるということを申されておられました。

 

しかも、このことは、般若心経を始めとする数多くの仏教経典にも書かれているとのことです。無限の世界、無限の生命、そして無限の力があって人を救うのだということを言っているのです。

和田聖公師


 

 

【第二意識への白隠禅師の悟り】

ここで、白隠禅師と白幽仙人が話した内容を語ってみたいと思います。

 

白隠禅師は、1685年から1768年までこの世で働かれていた聖者です。ちょうど五代将軍綱吉と八代将軍吉宗の時代にあたります。

 

白隠禅師の逸話として有名なものがあります。駿河の原宿の豪商何某(なにがし)が、平生から深く白隠の徳を慕って、しばしば財物を喜捨して供養していました。この何某の娘が定まる夫もないのに妊娠し出産してしまったのです。父親は不埒(ふらち)な娘だと大いに娘を責めましたが、娘は不義の相手の名を言わないのです。そして問いただした末に、実は白隠さんだと云ったのです。

 

父親はかんかんになって怒り、そんな奴だとは思わず、今まで白隠に帰依し、供養していたのは我ながら自分の馬鹿さ加減にあきれる。あの売僧(まいす)というので、嬰児を抱き取り松陰寺に乗り込み、白隠を思うさま罵って、その児を投げるように置いて帰ってしまいました。

 

白隠は何も言わずに、飴でその児を育て、自分の児のように愛していたのです。

 

見る人はいづれも白隠の児だろうと思っていました。ある雪の日、白隠はその児を抱いて、例の通り托鉢に出かけたのです。するとその児の母親である娘が、この様子を見て心から懺悔し、父親に「実はあの児は白隠さんの児ではない。白隠さんが相手だといえば許してもらえると思って偽りを言ったので、実は自宅の奉公人と私通して生まれた児です」と告白しました。

 

父親は驚いて白隠のもとへ駈けつけ、事実を語って許しを乞うたのです。

「ああこの児にも父があったのか」と白隠はニコニコして別に意に介するの風はなかったということでした。

 

この世の常識で云えば、聖人としては恥辱そのもののような破廉恥(はれんち)行為者として、世間から悪評、悪罵をあび、破壊坊主として、一度は寺を追われるほどになりながらも、あたかも全く自己の生ませた児のごとく、育てつづけてゆくところは、如何なる愛の説教も及ばぬところでしょう。全く私が無い、自己がないということなのでしょう。

 

そんな白隠禅師にも厳しい修行時代がありました。

 

白隠は、若かりし頃、激しい修行の結果、肺病に罹り、全身が衰弱してしまいました。

前から、いろいろな呼吸法を自分の師匠から習っておりました。また、正受という人からも、別の呼吸法を習っておりました。そのため、一生懸命に呼吸法を行じて、自分の病気を治そうとしたのです。しかし、一向に治らず、ますます病気はおもくなるばかりでした。

 

そのころ、京都の在の白河に、白幽仙人という方がおられて、齢は二百歳とも三百歳とも言われていました。

 

白隠は、草根木皮などのあらゆる療法を試みたが、全く治る見込みがたちませんでした。もはや万策尽き、絶望の淵に立たされたのであります。もしかしたら白幽仙人ならば、病気を治す秘法を知っているに違いないと思い、決死の想いでこの白河の村を訪ねて行きました。

 

さて、白幽仙人の山の庵(いおり)ときたら、とても人間が住めるようなところではありません。雨露をしのぐことが出来るかどうかもわからないようなあばら屋に白幽仙人がおられたのです。そこへたどり着いた時には、恐らくはもう気息奄々(きそくえんえん)として、死の一歩手前であったようです。

 

いよいよ、最後の人にすがって、それでだめならば、そこで命を落としてもいいという覚悟で白幽仙人をたずねられました。

 

そこを尋ねて、白隠は、今まで自分は、これこれの修行をやってきました。あらゆる療法を試みましたが一向に良くなりません。なんとか自分の命を救うて頂けないでしょうかとたのんだのでした。

 

すると白幽は何といったのでしょうか。「あなたは大変な博学の士で、ありとあらゆることを経験した人です。そういう人に自分は教えるものはない」と言われるのでした。「どうかお帰り下さい」と言ったきり、白幽仙人は黙り込んでしまいました。

 

白隠は、再三再四にわたって、必死になってすがりました。さすがの白幽も心をうごかし、じっと白隠の眼を見るなり、「まさにあなたは死の寸前にある」と言いました。

 

そして、「いろいろな事をやったのもよくわかるが、あなたは、余りにも知者であり、高者であるために、むしろ病気を重くしたのである。わたしは世捨て人で、こんなところで最低の生き方を細々とやっているにすぎないし、貴方のような学識の豊かな経験者に教えるものは何もないが、貴方がそこまで思って、ここを尋ねて来られた以上は、あなたの真意というものがわかった」と語るのでした。

 

つまり、一切を捨てて、この見るかげもない一老人の世捨て人にすがろうという心情はわかったと言われたのです。これは、白幽仙人は、おまえの知恵のありとあらゆることが鼻先にぶら下がっているうちは教えんという事です。「第一意識」をぶら下げているようでは、「第二意識」は入らんということなのです。

 

限界のあるあなたの想い、あなたの知恵、あなたの行などやったところで、そんな大病はもう治るものかと言われたのです。

 

白隠の方は、既に「第一意識」の限界に到達していて、それをどうしても超えることができなかったわけです。そこで、その限界を超える方法をたずねてきたというわけなのです。あらゆる経典を読み、あらゆる治療法を試み、あらゆる行もやったし、呼吸法をやったのですが、ついに万策尽きたわけです。「第一意識」のもっている、ありとあらゆるものを総動員したけど治らなかったということです。

 

白幽仙人は、当時で二百歳とも三百歳とも称せられるくらいだから、「第二意識」につながることを知っていたのです。しかし、鼻先に知恵をぶらさげているような人間には云ったところで無駄だと思うので、何も言わなかったわけです。

 

白隠は、自分の知恵もそれまでの行いの全てを捨てて裸で跳びこんでまいりましたので、いよいよ救ってやろうということになりました。そのときの白幽の言葉がとても面白いです。

「あなたのやっていた呼吸法は、知恵の呼吸法である。それではやっても効果があるまい」

そして、白幽は自分の呼吸法を教えたのです。

 

しかし、教わってみると、自分が過去にやってきた呼吸法と違いが無く、全く同じではないかと思われ、なあんだ、こんなところまで来て教わることもなかったと失望しました。

 

白幽は、「私が教えた呼吸法は、あんたの行ってきた呼吸法と同じだと思った」。

「それなら教えることもないから、帰った方がよろしい」と突っぱねたのです。

 

そこで白隠はハッと思いました。なるほど、かたちは自分のやってきたお臍の呼吸と違ってないが、しかし、やってみろと云うからには、何かがあるに違いないと思いました。やはり後世に名をのこす白隠であります。

 

そして、「あい願わくば、かたちは同じ呼吸法であっても、内容が違うと感じましたので、お教えいただきたい」と、白幽に願いました。すると、白幽仙人はニッコリ笑って、あなたは分かったらしいと言われました。

 

「呼吸した時に、息を入れるとあなたは温泉になる。非常に効果の高い温泉に身体を浸かったのと同じで、温泉の霊気によってあなたの全身の病気が治って、生命がジーッと入ってくる様を想像しなさい」と教えました。言ってみればそれだけのことでした。

 

普通ならば、お腹で呼吸するとき、さまざまな雑念が入ります。しかし、ヨガの呼吸法では「ふれる」という気持ちを持てば雑念はなくなります。

 

通常は、知恵で呼吸しています。呼吸すればよくなるという知恵であります。それを一生懸命やっていると、横隔膜も抵抗するでしょうし、雑念も湧き上がってきます。雑念の大きなものは、この呼吸法をやったら治るだろうか、あるいは治らないのではなかろうかという不安です。自信をもってやるのではなく、知恵でやっていると、治ったという体験がない人には絶えず不安がつきまといます。そういう不安がつきまとったら、絶対に「第二の意識」につながらないのです。

 

白幽の教えた呼吸法も、それから白隠があらゆる方法で習ったのも同じかたちだが、その理解の仕方が異なるのです。そこで、白幽が「あなたは、私が教えたのと、あなたが過去に習ったのと同じだと思っているが、大間違いだ」と怒ったわけです。

 

そこで、どうしたら良いのかを訊ねると、「非常に薬物効果の高い温泉に身体をひたしていると思い、安心感にひたれ」と教えたのです。その気持ちになり切って呼吸をしなさいと言ったのです。すると、この温泉の自然の力が、あなたの身体にしみこむように入って行って、貴方の力が回復するのだと言ったわけなのです。

 

「そういう温泉に入らなければ、あなたの病は回復しない。あなたは、そう信じ切っていなさい」。つまり、自分の「第一意識」を「第二意識」のなかに譲り渡せと言ったわけなのです。深い所の悟りがあると信じながら呼吸を三日三晩すると、不思議に全身が良くなったと、白隠は文章に書いています。そして、このときから、白隠は目が開けたとも語っています。

 

「自分を救ってくれるものはそれしかない。他へ行ったところで救われないのだ。そこへ行きさえすれば救われるのだ」。これは信ずる力です。大きな生命とのつながりが大切なのです。

 

今までは知恵、すなわち理屈でやっていたので、「第一意識」から一歩も出ていなかったわけですが、「第一意識」だけでは行き詰まりがきたのです。そのとき、「第二の世界」があることを信ずる。これが悟りなのです。

 

死から逃れたい。どうしても助かりたい。死にたくないのだが、すがるものがない。医者にもすがれない。鍼灸もやってみたけどだめだった。薬草にもすがれない。こうなったら大変なことです。もう凍りついてしまうか、死んでしまうかより方法はありません。ところが、たった一つだけ温泉があって、これがあなたを治す力をもっているのだと信じたというのです。

 

実際には無くても、「第二意識」のなかで自分を救うものがある。宇宙にはそれがあると信じて呼吸したならば、それは大変な力となって自分を支えたと書いています。

 

この白幽と名乗る仙人は、なにを解得したのかというと、自分の有限の「第一意識」というものを解いてしまい、「第二意識」のなかに入ってしまっているのです。見た目にはむさ苦しい、雨露をしのぎかねない家であっても、自分の「第二意識」のなかでは、金殿玉楼にいるような心境なのです。つまり、豊かな気持ちでいられるのです。

 

二百歳あるいは三百歳ともいわれる歳になって、おそらくそこいらの果物かなにかを食べていたのかもしれません。もしかしたら、食べ物ではないようなものを食べていたのかもしれません。しかし、それが生命を支える絶対のものだと思って食べるから効果を持つのであります。

 

このように、「悟り」というものは、「第一意識」の想いや感性で、あるいは「第一意識」の属性である常識によって得られるものではなくて、「第二意識」につながることによってはじめて可能となるのです。その方法手段として、「臍帯呼吸法」が極めて有効なものだと思われます。

 

不肖ながら、私(島田)も、一日に1回以上、「臍帯呼吸法」をほんの僅か2~3分でも行ずるようにし始めました。「第一意識」で行ずるのではなく、「第一意識」は本来は実体がなく、やがて消えて行くもののだと思い、「ふれる」感じを味わいつつ、息張らずにやろうと思っています。その結果やいかに。